2010年05月14日
謎の古墳
子供たちがよく遊んでいた小山が
じつは、日本最大・最古の上円下方墳だった!
2005年に、国史跡に指定されました。

7世紀の中ごろのものと言われていて
横穴式で、3つの部屋に並んでいます。
これは近畿地方にはない形で、多摩地区でみられるタイプ。

人間の大きさと比べるとわかりますが
32メートル四方の方形に、お団子型がのると高さが5~6メートルもあります。
昨日、武蔵府中熊野神社資料室に行ってきました。
現物大の、大きさが床にありました。
石室の中は発堀調査が終わってうめられたのではいることはできません。

出土した鞘尻金具には、七曜文がついていました。
盗掘にあったのか、出土品が少なく、どういう方が埋葬されていたのかは不明。
これだけ大きく、立派な古墳に被葬されたということは
この地方に住んだ有力者で、中央の大和朝廷と結びつきの強い方であったろうと。。。
謎です。 続きを読む
じつは、日本最大・最古の上円下方墳だった!
2005年に、国史跡に指定されました。

7世紀の中ごろのものと言われていて
横穴式で、3つの部屋に並んでいます。
これは近畿地方にはない形で、多摩地区でみられるタイプ。

人間の大きさと比べるとわかりますが
32メートル四方の方形に、お団子型がのると高さが5~6メートルもあります。
昨日、武蔵府中熊野神社資料室に行ってきました。
現物大の、大きさが床にありました。
石室の中は発堀調査が終わってうめられたのではいることはできません。

出土した鞘尻金具には、七曜文がついていました。
盗掘にあったのか、出土品が少なく、どういう方が埋葬されていたのかは不明。
これだけ大きく、立派な古墳に被葬されたということは
この地方に住んだ有力者で、中央の大和朝廷と結びつきの強い方であったろうと。。。
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