2011年04月11日
府中と清瀬
武蔵国の国府があった府中。

社会人になったころ
東山道武蔵路の遺構が新聞等でにぎわいました。
12メートル幅のほぼまっすぐな道路。
これは、
一般市民が通る路ではなかった。

武蔵国の管内は、旅をするのに苦難を要し
飢えと、病気に苦しむ旅人のために
多摩郡と入間郡の境に
悲田処をつくり、それは清瀬にあったのではないかーーーーと
清瀬市郷土博物館で読みました。
武蔵国国府、府中から、清瀬近くを通って大宮方面に向かう
古代道があったのではないかという展示は
興味深かったです。
社会人になったころ
東山道武蔵路の遺構が新聞等でにぎわいました。
12メートル幅のほぼまっすぐな道路。
これは、
一般市民が通る路ではなかった。
武蔵国の管内は、旅をするのに苦難を要し
飢えと、病気に苦しむ旅人のために
多摩郡と入間郡の境に
悲田処をつくり、それは清瀬にあったのではないかーーーーと
清瀬市郷土博物館で読みました。
武蔵国国府、府中から、清瀬近くを通って大宮方面に向かう
古代道があったのではないかという展示は
興味深かったです。
Posted by たまのり at 07:27│Comments(0)
│なるほど
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