2010年12月19日
玉の水
四谷大木戸からは、地中に樋を埋めて
水を導きました。
羽村市郷土博物館では、実際につかった物を譲り受け展示されています。

コの字型であきぐちが上になって
上からふたをしているような感じ。
これは船造りの技術が応用されているんだそうです。

小平ふれあい下水道館でも見て来ましたが
江戸の街はきれいだったんだそうですね、
上水井戸、、、、下水とは混じらないように場所を変えて走っています。
玉川上水の資料をみると
”玉の水”という表現が出てきます。
宝石のように貴重な水だったのでしょうね。

もちろん、たくさんの分水や用水で武蔵野台地が潤い
新田開発が進んだのは、言うまでもありません。
水を導きました。
羽村市郷土博物館では、実際につかった物を譲り受け展示されています。
コの字型であきぐちが上になって
上からふたをしているような感じ。
これは船造りの技術が応用されているんだそうです。
小平ふれあい下水道館でも見て来ましたが
江戸の街はきれいだったんだそうですね、
上水井戸、、、、下水とは混じらないように場所を変えて走っています。
玉川上水の資料をみると
”玉の水”という表現が出てきます。
宝石のように貴重な水だったのでしょうね。
もちろん、たくさんの分水や用水で武蔵野台地が潤い
新田開発が進んだのは、言うまでもありません。
Posted by たまのり at 06:52│Comments(0)
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