立川氏

たまのり

2010年07月19日 08:36

立川の歴史を知る上で、まず外せないのが普済寺の六面石幢でした。
つぎは?




立川市歴史民俗資料館の敷地には、
4,500年前のものと言われる
敷き石住居跡が移設して展示されています。



多摩川の河原の石なのでしょうか、
同じぐらいの表面は平らでつるつるしている大きな石。

811年というから、今から約1200年前に
諏訪神社が長野県の諏訪大社から勧請(かんじょう)されています。



山門には仁王がいることが多いのですが
諏訪神社には、極彩色の武将が一対でいます。


手洗いの仕方、お清めの仕方が
女の子の絵で。

8月下旬の例大祭では、獅子舞が舞い
この土俵で相撲も。

鎌倉幕府がひらかれ
武蔵七党の一員として
身辺警護あるいは街道を警備する騎士団がいました。
その西党に立川氏は属していて
1238年将軍に従って京都へ行っています。

立川氏の館跡は普済寺にあるそうです。




氏神様の八幡神社が、建てられました。
その参道に植えられたという大けやき、もう樹齢はいくつになるのでしょうか?

現在八幡神社は、諏訪神社の中にあります。


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