たこ

たまのり

2011年02月07日 04:29

東京の人口が増えて、水がめをあらたに求め
東側が谷になって、都心にも近い狭山丘陵に
白羽の矢が立ったのが明治45年。
村中大騒動だったと書いていましたが、当然です
住んでいる土地が村山貯水地(多摩湖)のために失われるのですから。

谷には160軒余りの家があって
反対しても聞いてもらえず、相場の半分の値段で移転したという歴史があるんだそうです。





水がめを作るのに、コンクリートの塊で押しつけていく。
この塊が宙に浮かぶと、周りについている紐で
蛸のように見えたから、たこと。

東大和市立郷土博物館では
「運ぶ」がテーマの展示もされていました。
運ぶもの、、、水・お酒・荷物・本・たい肥・声・文字、、、、
ユニークな企画だと思いました。



プラネタリウムは時間的にあわず、入らずにあとにしました。





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